鉄よりつよいもの。(旧)

KKTのブログ『鉄よりつよいもの。』のはてなダイアリー時代(2004年から2017年まで)のアーカイヴです。新規更新はしません。現在は新しいブログ http://kkt.hatenablog.jp/ をたまに更新

Do You Believe in Magic?

前書きみたいなもの

しばらく前にハードディスク内のデータを整理していると、このブログに書くつもりで、結局載せないままに眠らせていた下書きを見つけました。
いまとなっては、載せなかった理由は自分でもわかりません。たぶん、なんとなくうまくまとめられないままにタイミングを逃してしまったみたいなところじゃないかなと思います。
文体を見ても、試行錯誤した形跡が見られるのですが、書いてから数年を経て改めて見てみると、これはこのかたちで残しておいてもいいかもなと思いました。数年経っていると、もうタイミング云々の話でもないですしね。


そんなわけで、3年ほど前に書いた文章を一部修正の上に載せてみます。娘。さんのミュージカル『シンデレラ』についての文章です。


「Do You Believe in Magic?」

娘。のミュージカル『シンデレラ』を観たときに、ある場面で涙が止まらなかった。
そのときは、なんでそんなに泣けてしまうのか自分でもわからなかった。「ああ、そういうことだったのかな」と、なんとなくわかった気がしたのは、観劇からしばらく経ってからのことだ。


泣いてしまった場面というのは、シンデレラが、ガラスの靴の持ち主を捜すクリストファー王子と再会を果たすシーンだ。
「信じていれば夢はきっと叶えられます」
そう言うシンデレラは、しかし想う人を前にしながら「舞踏会の女性は私です」と名乗り出ることができない。
それは、シンデレラが魔法の力を知っているからだ。自分が夢を叶えるには魔法が必要だと思っているから、魔法の力がなければ自分は王子の前に立つことができないと思っているから、彼女は自分から踏み出すことができない。魔法が彼女を縛りつけている。
それを解き放ったのは、クリストファーの力だ。
クリストファーは、シンデレラと言葉を交わす中で感じたはずだ。目の前の彼女が、あの夜自分の前に現われた姫だということを。
そして自分が感じたものを疑わなかった。まっすぐに行動してみせた。シンデレラ自身が「つまらない名前」と否定する名前を「なんと素晴しい名前だろう」と肯定してみせた。



『シンデレラ』というお話はよく知っているつもりだった。「恵まれない境遇にある女の子が、魔法使いの力で幸せになるお話」。
だけど、ミュージカル『シンデレラ』は、そんなお話じゃなかった。
ミュージカル『シンデレラ』で、妖精の女王の魔法はたしかにシンデレラを舞踏会へ送ることはできた。でも、女王の魔法にできたのは、それだけじゃないか。シンデレラとクリストファーを結びつけたのは、女王の魔法の力なんかじゃない。ふたりを結びつけたのは、疑わず行動し、そして肯定したクリストファー自身の力だ。もし、誰かを幸せに導く力を「魔法」と呼ぶのであれば、クリストファーの力こそがその名にふさわしいのではないのか。
そして、その「魔法」は特別な力ではない。
カボチャを馬車に変えたり、汚れた服を美しいドレスに変えることはできなくても、自分の感じたものを疑わず肯定することなら、誰だってできるはずだから。
ほんとうの「魔法」はみんなが持っている。ミュージカル『シンデレラ』はそう語りかけていたように思う。


泣けてしまったのは、それを自分へのメッセージとして受け取ったからだ。
「どうせ無理だから」「自分にはできないから」
いつの間にか最初からあきらめることに慣れてしまっている自分がいる。そのほうが楽だからだ。


でも、そうじゃないだろう?
君だって「魔法」を持ってるはずなんだぜ。
ほんのちっぽけなことかもしれないけど、だけど変えられるかもしれないんだよ、なにかを。


そう肩を叩かれた気がした。だから泣けた。



たかがアイドルのやっているミュージカルに心を動かされるなんて愚かなことだと誰かが言うかもしれない。
でも、そのとき動かされたぼくの気持ちは確実にある。誇るつもりはないが、それは誰かが否定できることじゃない。
舞台から放たれている、心を動かす力。その力に、本物も紛い物もありはしない。
そう、その力もきっと、ひとつの尊い魔法なんだと思う。


ぼくはその魔法を信じる。