鉄よりつよいもの。(旧)

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『ファッショナブル』についてもう少し

『ファッショナブル』についてこのブログで書くのが遅くなった理由のひとつに、私の中での『ファッショナブル』という作品に対する印象が、観劇のあとで何度か変わっていったということがあります。
劇を観終わった直後には、当然のように長谷川ココをはじめ娘。さんが演じた登場人物たちが私の中で大きな部分を占めていました。
ですから『ファッショナブル』は、友情の物語であり、仲間たちとの絆を深く築いていく物語。そしてココが父親との関係を修復させていく物語である。そう受け取っていました。


それが、観劇してしばらくすると、長谷川ココの父親である芹沢氏の存在が自分の中で膨らんでいく感覚がありました。
登場してしばらくは、周りから「ファッションモンスター」とすら呼ばれ、完全無欠のファッションのカリスマに見える芹沢氏。しかし、劇が進んでいくにしたがって、徐々に彼の不完全な部分が見えてきます。
後半にいたっては、自分からココに父親だとは名乗ろうとしない一方で、でも幼かったココとの記憶を呼び覚ますような赤いワンピースをわざわざココの目に入るように店のラックに並べておく。この行為が、すごく弱々しい行動に思えたのです。
さらに、芹沢氏の侵されている病が明らかになる中で、どんどん芹沢氏の弱さが目立っていく。芹沢氏は、ココが思っていたようなファッションにすべてを捧げた冷徹な人物ではなくて、別れた家族への想いをずっと引きずり悩み続ける、ひとりの男に過ぎない。
芹沢氏とココの関係で語るならば、舞台『ファッショナブル』は、父親の人間としての弱さを、娘が認めて受け入れていく物語。そんなふうにも思えました。


そしてもうひとつ。加藤紀子さんが演じていた川久保について、ふと思いついたことがありました。川久保女史が芹沢氏に対して抱いていた感情は、尊敬の念だけだったのだろうかと。
芹沢氏の教え子であり、TRESORに芹沢氏を招いた張本人である川久保女史。彼女は、芹沢氏と長谷川ココの関係も、芹沢氏に残された時間が多くないことも知っていたように劇の中では描かれています。
川久保女史は、なぜ芹沢氏をTRESORに招いたのか。もちろん、その大きな目的は豊富な知識と経験を持つ芹沢氏の力を借り、不振に陥っているTRESORを盛り返すこと。でも、それだけだったんだろうか? 川久保女史は、芹沢氏に娘とともに過ごす時間を贈りたかったのではないか? 自分が想いを寄せる人に、少しでも幸せな時間を過ごしてほしかったのではないか。
ココが近くにいれば、芹沢氏の愛情がココにだけ向けられるであろうことを、きっと川久保女史はわかっていたはず。そしてその愛情を受け入れようとしないココ。川久保女史は、どんな想いでココを、芹沢氏を見ていたのだろうか。


報われることのない想いの物語。そんな視点で観ると、『ファッショナブル』という舞台が、また別の表情を浮かびあがらせてくれるように思うのです。