鉄よりつよいもの。(旧)

KKTのブログ『鉄よりつよいもの。』のはてなダイアリー時代(2004年から2017年まで)のアーカイヴです。新規更新はしません。現在は新しいブログ http://kkt.hatenablog.jp/ をたまに更新

ステーシーがもたらす「赦し」

「アイドルを楽しむ」ということは、ひどく残酷な行為であると以前から思っています。それは、多くの場合まだ10代前半や(あるいはそれ以下の)「子供たち」の人生を娯楽として消費する行為だからです。
もちろん、我々が「アイドルを楽しむ」ことが、アイドル本人たちの「人前で歌いたい踊りたい」といった希望や欲求を叶えているという側面もあるでしょう。しかし、それは決して人の人生を娯楽として楽しむことの残酷さを帳消しにできるものではないと思います。その残酷な行為に興じるならば、せめて「アイドルを楽しむ」ことの罪深さとか後ろめたさは自覚しなくてはならない。私はそう思っています。


娘。が演じた舞台『ステーシーズ』がグサッと胸に刺さった理由のひとつは、ここにありました。
『ステーシーズ』のある場面でステーシー化した少女たちが歌う歌は、ステーシーたちから男たちへ向けた言葉であると同時に、彼女たちを演じるアイドル自身からファンに向けた言葉のようにも感じられました。「あなたたちはなにも背負う必要はないのです。さあどうぞ私たちの人生を消費してください」という言葉のように。
その言葉は私がずっと抱えている後ろめたさへの救いであると同時に、結局自分は少女の犠牲によって罪から免れているのではないか、赦されているのではないかという、新たな背徳感として刺さってきました。おそらく、ずっと抜けることのないはずの。