鉄よりつよいもの。(旧)

KKTのブログ『鉄よりつよいもの。』のはてなダイアリー時代(2004年から2017年まで)のアーカイヴです。新規更新はしません。現在は新しいブログ http://kkt.hatenablog.jp/ をたまに更新

高まる圧

最近のモーニング娘。を見ていると「なにを見せるのか」がひじょうに明確だなと感じます。
シングル曲は「EDM+フォーメーションダンス」という路線が継続されていて、昨年の『1/娘。』や今年の『勝負の年だぞ。』のポスターや動画などでメンバーひとりひとりの「キャラクター」も積極的に打ち出されている。
モーニング娘。は、こういう子たちがこういう曲をこう歌うグループです」という明確な「娘。像」を発信している印象があります。
同じような印象を、コンサートでも受けます。
いまの娘。のコンサートは「こういうショウを見せる」という完成予想図のようなはっきりしたイメージがあって、そのイメージに向かって作り上げられているように感じる部分があります。
キッチリと形作られた枠組みに娘。さんたちのパフォーマンスが厚みを与え、完成図のイメージが具現化された実体としてステージの上に現れる。
数年前の娘。のコンサートは、そういう作り方ではなかったと思います。
「こういうショウを見せる」というイメージは間違いなくあったと思いますが、はっきりとした完成図ではなくいわば骨組みのようなもので、それを膨らましていくことでコンサートが作り上げられていく。その芯がどう肉付けされていくかはメンバーに委ねられていた部分も大きかったのではないかと思います。
コンサートの作り方がここ数年で変化したのではないかと感じています。
娘。のメンバー構成が大きく変わり、その経験値も大きく変わりました。就学中のメンバーが大半となったことや状況の変化でレッスンやリハーサルにかける時間も数年前とは変わっているでしょう。その中で、明確な「完成形」という枠組みを用意する作り方へと、意図的に変えていったものがあるのではないかと思っています。


ただ、私が観た一番最近の娘。コンサートである春ツアーでは、メンバーのパフォーマンスに枠組みの中にきれいには収まりきらない圧の高まりのようなものを感じました。メンバーが経験を積む中でジワジワと高まる圧は、またコンサートの作られ方を変えていくのかもしれません。
明日9月30日、数ヶ月ぶりにモーニング娘。のコンサートを観に行きます。発表が予告されている12期メンバーも楽しみですが、なによりも10人が見せるステージがどう変わっているか、それが楽しみです。