鉄よりつよいもの。(旧)

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『オンナ、ひと憂。』

久住小春さんが主演、小川麻琴さんが共演し、9月12日から16日まで公演されていた舞台劇『オンナ、ひと憂。』。私は9月14日の夜公演を観劇しました。
物語の舞台となるのは「舞台劇『奈落ヘヴン』初日を迎える劇場の楽屋とステージ」。楽屋に「すでにこの世にいない」はずの主演女優・のぞみが現われたことで引き起こされる騒動を描いた、ホラー・ミステリータッチの作品。のぞみを演じるのが久住さん。小川さんは、設定上はベテラン格の先輩女優・美幸役でした。


この舞台、少し変わった趣向が凝らされていました。
開演の15分ほど前から、なんの説明もないままにステージ上に俳優さんが登場し、楽屋を模したセットの中で、あたかも本番を待つ女優たちが繰り広げるようなやりとりを繰り広げていきます。また、開演時には「舞台の制作係」を演じる女優さんが前説をするのですが、彼女たちが客席に向かってかける言葉は「舞台『奈落ヘヴン』にようこそ!」。劇中劇である『奈落ヘブン』と、現実の『オンナ、ひと憂。』という舞台劇の境界を曖昧にされているような印象を受けました。


物語の軸となっていくのは、のぞみと、実際には姿を現さない“のぞみの母親”との関係。その関係は、劇中劇『奈落ヘヴン』でのぞみが演じる姫と母である王妃の関係に重なっていきます。さらに、その王妃をベテラン女優が演じているという設定から「娘と母の」関係が「若い女優と経験豊かな女優」との関係にも重ねられていたように私は感じました。
この劇のタイトルである『オンナ、ひと憂。』は「女、人 憂。」、つまり「女優」。タイトルから「女優」が冠されたこの舞台は「女優とは何者であるのか」と提示することをひとつのテーマにしていたように思います。
この舞台は、女優育成プロジェクトという面があったそうで、舞台経験の少なかったり初めてのキャストが多かったようです。そういう「女優」になろうとする若い女性たちが集まった舞台で「女優とは何者か」を問う。それがこの作品の狙いだったのではないかと私は思っています。
しかし、それは決して内側だけを向いて出演者たちに問いかけるものではなく、エンターテイメントとして観客を充分に楽しませるものでした。
前述のようにホラー・ミステリーの要素を持った作品ですが、物語の中で明確な理由や答えが示されず「謎」のまま残されたものがいくつもあります。そうして「謎」が残されているゆえに、『オンナ、ひと憂。』という作品は深く突き刺さってくる感じがありました。
実際、私の中では、まだこの作品で残された「謎」がしこりのように残っています。
その意味では『オンナ、ひと憂。』という作品は、終わることのない作品なのかもしれません。




『オンナ、ひと憂。』を考えるためのメモ

『オンナ、ひと憂。』の序盤、楽屋に蜘蛛がいることに女優たちが気づく場面があります。
蜘蛛は、フロイト心理学で「母への怖れ」の象徴とされます。また、蜘蛛の巣のイメージから「束縛」を象徴するともされます。
楽屋に蜘蛛がいることに気づいたとき、誰が、どのように行動したか――。


「蜘蛛」からもうひとつ連想するのは、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』。
この小説では極楽から地獄へと蜘蛛の糸が垂らされ、蜘蛛がふたつの異なる世界をつないでいます。
『オンナ、ひと憂。』でも、蜘蛛はふたつの異なる世界を結んでいたのではないか――。
劇中劇のタイトルが、その内容とは似つかわしくない『奈落ヘヴン』であることも意味深げに思えます。
もうひとつ。
蜘蛛の糸』で、蜘蛛の糸によって救い出されるはずだったのはただひとりでした。
『オンナ、ひと憂。』でも、もしかしたら誰かひとりだけが「救われようとした」のかも――。





以下は、私が観劇後しばらくしてこの劇のラストについて思いついたこと。
あくまでひとつの見方で、決してこれが正解だと思っているわけではありません。
劇のラストについて思いっきり書いていますので、畳みます。



劇の終盤、幽霊として楽屋に現われたのぞみは姿を消し、のぞみの代役であり、のぞみの妹・優が主役をつとめあげる。
女優がひとりずつ楽屋を去り、優だけがひとり残った楽屋にやってきた優のマネージャーの「あなたのお母さんが!」というセリフ、そして叫び声で舞台劇『オンナ、ひと憂。』は幕を閉じる。
優の――そしてのぞみの――母親になにがあったのか、叫び声はなにを意味するのか、それは示されないままだ。


ラスト直前の楽屋のシーンで、優は椅子を並べて脚を投げ出すという、のぞみの癖と同じ行動をとっている。
そしてのぞみの友人である共演者・さくらは、楽屋を去る直前、優の行動になにかを気づいたような仕草を見せる。


舞台終盤において、優はのぞみになっているというのが私の解釈だ。
前述した優がのぞみと同じ行動をとっているというのが理由のひとつ。
そして、ラスト前の優の独白シーンで「私がお姉ちゃんの代わりにお母さんの希望になる。お母さんの“のぞみ”になる!」というセリフがある*1
自ら命を絶ちつつ幽霊として『奈落ヘヴン』の楽屋に現われたのぞみは、妹である優の肉体に入れ替わったと私は考える。
それはなぜか。
その答えは私の中でもまだ漠然としている。だが、母の存在が、のぞみをこの世に留まらせる大きな要因であると思う。



さて、ラストの解釈。
マネージャーの様子から考えれば、優の(のぞみの)母親に重大な出来事――命に関わるような――があったと考えるのが自然だ。
ここで気になるのが、楽屋を去る直前のさくらの行動だ。さくらは自分の友人である優が、すでに優ではないことに気づいていたのだと私は思う。
舞台序盤の楽屋の蜘蛛の場面については前述した。この場面で蜘蛛を叩きつぶしたのは、さくらであった。
やはり前述したように、蜘蛛は「母親」の象徴である。
この、蜘蛛を殺すという行為と、蜘蛛が母親の象徴であることを組み合わせると――。


さくらは、優がのぞみに取って代わられたことに気づいた。そして、のぞみをこの世に留めているのが母親であることもわかっている。そしてさくらはのぞみの母を殺した。自分の友人を奪ったのぞみへの復讐のために。


これがラストについてのわたしのひとつの解釈だ。筋道だてて推理したのではなく、どちらかというと「頭に浮かんでしまった」解釈である。
なので無理のある部分を自分で指摘することも可能だ。たとえば、さくらが楽屋を去ってからラストまでの(劇中での)時間を考えればさくらがのぞみの母親の命を奪えるとは考えられない。
だから決して正解ではあり得ない解釈だと思う。
ただ、こんなふうに考えをめぐらすのも作品の楽しみ方のひとつではないかと私は思っている。


かなり陰惨な解釈なので、自分で考えておいて気が滅入ったが(笑)。

*1:記憶に頼って書いているので細かい部分は不正確なのはご容赦