鉄よりつよいもの。(旧)

KKTのブログ『鉄よりつよいもの。』のはてなダイアリー時代(2004年から2017年まで)のアーカイヴです。新規更新はしません。現在は新しいブログ http://kkt.hatenablog.jp/ をたまに更新

3つの再生

さて『リボンの騎士』2回目の鑑賞で、初見時には見逃していた点に気付かされました。
中でも、劇の終盤でサファイアの復活をみなが祈るとき、差し伸べられた大臣の手を振り払う息子には衝撃を受けました。
そして思いました。大臣と魔女ヘケートは相似である、と。
「息子のため」を思った大臣、フランツに愛されたかったヘケート。ふたりに共通しているのは、一方通行の愛情です。息子を、フランツを、強く想いつつも、それは自ら押し付けようとするだけの歪な愛情。
その結果、息子に「拒絶」され、1度は自己の存在意義すら見失ったはずの大臣。しかし、その大臣にも救済は用意されています。償いの旅を言い渡されたとき、息子は、そしてナイロンは、自らの意思によりともに旅に出ることを申し出ます。大臣は息子に、ナイロンに、「愛される」ことにより救われています。ヘケートが「愛すること」を知り、神による救済を得たように。
大臣とヘケートが体験した「拒絶」と「絶望」、そしてそこからの「救済」。それは、ひとつの再生の物語と言えるでしょう。「魂の物語」の大団円で再生したのはサファイアだけではありません。大臣とヘケートもまた、「再生」しているのです。




余談気味にひとつ付け加えると…。
永遠の命を持つ故に愛する人を失ってしまうヘケート。その「永遠を生きる者の孤独」は、手塚漫画の代表作である『火の鳥』で何度か描かれてきたモチーフです。
そしてやや強引ではありますが、大臣が息子に寄せる歪な愛情には、やはり手塚漫画の代表作である『鉄腕アトム』の天馬博士の姿を重ねることもできるかもしれません。