鉄よりつよいもの。(旧)

KKTのブログ『鉄よりつよいもの。』のはてなダイアリー時代(2004年から2017年まで)のアーカイヴです。新規更新はしません。現在は新しいブログ http://kkt.hatenablog.jp/ をたまに更新

たからもの

安倍さん主演のドラマ『たからもの』の感想を書いてみます。
内容に触れるので「続きを読む」以降に。








主人公・千は、阪神大震災で父親を失って以来、自らの感情を抑えて生きています。その状況はモノローグでも説明されていますが、恋人からの別れのメールに対する反応で千の生き方を端的に表現しているところは見事です。
その千が、再び自らの感情に素直に生きようと決意するきっかけとなるのは、父が撮影していた、千の剣道の試合を撮影したビデオです。
「みんな無責任にがんばれって言うけど、私はがんばっている」。千はそう言っていました。千にとっての「がんばる」は、泣かないための「がんばる」でした。そしてビデオの中で父が見せた笑顔が千に思い出させたのは、笑うために「がんばる」こと。「負けた試合は見たくない」と否定することが「がんばる」ことではない。負けた試合すら、辛い記憶すら自らの思い出として肯定すること。それが「がんばる」ことの意味。
ここで重要なのは、千が、誰に言われたわけでもなく、自らの意思で新たに「動き出す」ことを選択していることです。父親の形見の時計。それは思い出の品として、その時刻を指したまま保管することもできたはずです。しかし、千はその時計を自らの手で動かすことを選択しました。現在の時を示してこそ、時計には意味がある。千はそう考えたから。そしてその時計と同じように、自分もまた。
ラストシーンで千は笑顔を見せます。それまでも千は笑顔を見せていますが、深夜にひとり摂る食事のときなどに見せるその笑顔は、空虚な笑顔でした。最後に見せた千の生き生きとした笑顔。それは、きっと安倍さんにしか表現できないもの。このシーンだけで、安倍さんがこの役を演じた意味はあると思いました。
父親を演じる小市慢太郎氏、中学時代の千を演じる℃-ute村上さんの好演もあり、ひとりの女性の再出発の物語として好感を持てる作品でした。




しかし、阪神大震災を題材として取り上げていながら、この作品がひとりの女性の個人的な物語として描かれてしまっていることには疑問も感じざるを得ません。仮に父親の死の理由を、架空の災害、あるいは病気や事故によるものとしてもこの作品は成立してしまいます。そこには、阪神大震災という出来事に対する作り手の安易な姿勢が垣間見える気がします。実際の被災者にとっては未だ奇麗事だけでは済まされない現実として存在するはずの阪神大震災。それを題材として取り上げるにあたって、果たして作り手はそれ相応の覚悟を持っていたのか。安易に感動のネタとして消費すべき題材では、ないはずです。


そんなことを思ったりもするのですけどね。基本的には良作として評価したいと思っていますよ。


さて、ドラマを観終わったときに私の頭の中に浮かんできた曲を。

手をのばせば〜A touch of Love〜

手をのばせば〜A touch of Love〜

現在iPodでリピート中。もちろん千の『たからもの』がドラマにマッチしたテーマ曲である上で、このドラマの私的テーマソングです。